- Contents -
(プロヴァンス滞在記)
2007/03/06
 
  1.ボニュー
  2.ピザ屋
  3.キャンプ場
  4.アパート
  5.ミストラル
  6.スーパーマーケット
  7.ジュリアン橋
  8.ビュークス 1
  9.車上ねらい
 10.待ち合わせ
 11.カヴァイヨン方面へ
 12.アンスイ城
 13.宗教
 14.ヴォークリューズの泉
 15.カナル
 16.作者のつぶやき
 17.オクサンのつぶやき
 18.写真室 1
 19.写真室 2
 20.写真室 3
 21.写真室 4
 22.桜の花が咲く頃
 23.フォーレ・デ・セドル
 24.ボニューについて
 25.さくらんぼの実る頃
 26.嵐の夜は・・・
 27.ルノーガレージにて
 28.ビュークス 2
 29.ビュークス 3
 30.気まぐれ
 31.写真室 5
 32.共同洗濯場
 33.写真室 6 (水にまつわる写真)
 34.ドイツ系スーパー
 35.3車線?道路
 36.ロータリー
 37.ドルメン
 38.使い捨てカイロ
 39.モンマジュール修道院
 40.ペイヨン
 41.写真室 7 (街の眺め 1)
 42.ローマ水道橋 1
 43.ローマ水道橋 2
 44.写真室 8 (これなあに?)
 45.写真室 9 (街の眺め 2)
 46.プロヴァンスのコロラド
 47.マルセイユ
 48.桜の花が咲く頃 2006
 49.交通事情 2006
 50.レガロン渓谷

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- 特集 1 -
(カタルーニャから)
2001/09/09
 1.カタルーニャから 1
 2.カタルーニャから 2
 3.カタルーニャから 3
 4.カタルーニャから 4

- 特集 2 -
(クライミングをしよう!)
2001/09/09
  0.クライミングをしよう!
  1.ビック・ロックで
  2.クライミング写真室 1
  3.クライミング写真室 2
  4.クライミング写真室 3
  5.クライミング写真室 4
  6.フランスツアーへの誘い

- 特集 3 -
(巡礼地にて)
2004/11/15
 
  0.巡礼
  1.ルルド
  2.サンチャゴ・デ・コンポステラ
  3.ヴェズレー
  4.コンク
  5.サント=マリー=ド=ラ=メール
  6.ファティマ   
  7.ヌヴェール
  8.モン=サン=ミッシェル
  9.サント・ボームの洞窟
 10.ロカマドゥール

- 特集 4 -
(旅の写真集)
2005/07/04
  0.はじめに
  1.其の一
  2.其の二
  3.其の三
  4.其の四
  5.其の五

- TOPO -
(トポ)
2007/11/11
  1.Volx
  2.St.-Leger-du-Ventoux
  3.Troubat
  4.St Pe-d'Ardet
  5.Montgrony
  6.Orgon le canal-gauche

- 滞在日記 -
2019/08/15
 ・概略
 ・2004年(1) 4/14〜5/04
 ・2004年(2) 5/05〜5/25
 ・2004年(3) 5/26〜6/20
 ・2006年(1) 4/08〜4/23
 ・2006年(2) 4/24〜5/14
 ・2006年(3) 5/15〜6/04
 ・2006年(4) 6/05〜6/21
 ・2008年(1) 出国〜Bonnieux
 ・2008年(2) St-Antonin
 ・2008年(3) Rodellar
 ・2008年(4) Gorges du Tarn
 ・2008年(5) Saint-Cere
 ・2008年(6) Bonnieux
 ・2008年(7) ドイツ〜帰国
 ・2010年(1) 出国〜Bonnieux
 ・2010年(2) Ariege
 ・2010年(3) St-Antonin
 ・2010年(4) Gorges du Tarn
 ・2010年(5) Ariege
 ・2010年(6) Bonnieux〜帰国
 ・2012年(1) 出国〜Bonnieux
 ・2012年(2) Ulldemolins -1
 ・2012年(3) スペインドライブ
 ・2012年(4) Ulldemolins -2
 ・2012年(5) Organya
 ・2012年(6) Rodellar
 ・2012年(7) Bonnieux〜帰国
 ・2014年滞在日記(ブログ)
 ・準備(持ち物リスト)

更新履歴
2024/09/28
参考地図
(シンプル・参考程度です)
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2024/09/28
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  2024/09/28 更新  

プロヴァンスという言葉で何をイメージしますか?
強い日差し。古い街並み。白い岩肌の山。ラベンダー畑。山全体を満たす香り。
陽気な、でも、だいぶいいかげんな人々。


私たちが紹介するプロヴァンスは、皆さんのイメージとは、ちょっと違うかもしれませんが、
よかったら、のぞいて見てください。


     
 


 
ボニューのテラスから ボニューのテラスから
(Bonnieux)

私たちの最もお気に入りの街。
テラス(terrasse)と呼ばれるこの場所は、
街のてっぺんの古い教会から少し下にあり、
とても見晴らしのいい場所です。
遠く、ヴァントゥー山まで見渡せる。
(この写真ではよく分からないが・・・。)
夜景もとてもきれいです。
 


 
サン=レミ=ド=プロヴァンスのカルナヴァル  サン=レミ=ド=プロヴァンスのカルナヴァル
(St-Remy-de-Provence)

お祭りを見て歩くのもヨーロッパ旅行の1つの楽しみ。
カトリックでは復活祭の前40日間、日曜日を除いて
肉食を断つ「四旬節」があるが、その前に行われる
無礼講のお祭りがカルナヴァル(謝肉祭)だ。
長かった冬を追出すお祭りでもある。

 


 
セナンク修道院  セナンク修道院
(Abbaye de Senanque)

プロヴァンスで修道院と言えば、やっぱりここでしょう。
定番のカメラアングルですが、
ラベンダーが咲く季節でないのがとても残念。
 


 
クライミングをしよう! クライミングをしよう!

ドイツから駆けつけてくれた仲間たちと。
左から、BERNT、私、KENNEY、ILAN。
St.-Leger-du-Ventouxにて(2000/04/26)。


 


 
   
 
 

 
 ポン・デュ・ガール
(Pont du Gard)

ローマ水道橋と言えば、やはりここ。
プロヴァンスの名前は、
この地がローマ時代、属州(プロヴァンキア)
であったことに由来しています。
ローマ時代の遺構が、大小いろいろ、
あちこちに点在しています。


 サント=マリー=ド=ラ=メールの巡礼
(STE-MARIES-DE-LA-MER)

この地は、プロヴァンスでのキリスト教布教が
始まった地と伝承されています。
その昔、海から来たイエス・キリストの縁者たち、
それに因んで年2回、盛大にお祭りが開かれる。
ジプシーの巡礼としても有名で、
期間中はジプシーと観光客で溢れかえります。



 カタルーニャから
(Catalunya)

カタルーニャはプロヴァンスではありません。
スペインの自治州ですが、スペインとも言い難く、
過去何度も独立運動が起きています。
歴史・文化・言語上からも独自性が明白で、
個人的には、むしろ南仏に近いように感じます。
写真(左)は、サグラダ・ファミリアの薔薇窓ですが、
近年、建設が急ピッチで進んでいます。



ボニューにて
(Bonnieux)

ボニューはかつてテンプル騎士団の拠点の1つ。
城砦の起源はケルト時代まで遡ります。
テンプル騎士団解体後は、バチカン領になり
1793年に併合されてフランスになるまで
独自の歴史をたどりました。
私達のお気に入りの村です。


   
**********  プロヴァンス滞在記について  **********
当サイトは、1991年から2010年にかけての20年間、クライミング目的で南仏・プロヴァンスを頻繁に訪れた作者が、体験したこと・感じたこと・驚いたこと・楽しかったことなどを、あくまで主観的に書き綴ったものです。
クライマーの目から見て語るプロヴァンスなので、観光旅行で訪れた方や、仕事で訪れた方々からは大いに異論があることかと思いますが、ご容赦下さい。

この20年間、そしてその後も、現在も、プロヴァンスは変わり続けています。
私が初めて訪れた頃の南仏(とくにリュベロン)は、とても田舎で、風景も、そこに暮らす人々も、とてものどかで大らかで『人間的』で、歴史溢れる美しい風景と相まって、私はすっかりこの地の虜となってしまいました。
1980年代後半から1990年代前半まで、リュベロンを中心としたプロヴァンスは、世界のクライミングの中心地と言っても過言では無く、ビュークスやヴォルクス、オルゴン、カランクには世界中からクライマーが集まってきていました。同胞クライマー達とはもちろん、現地クライマーや各国から来たクライマー達と交流して、とても楽しい日々でした。
また一方で、ピーターメイルの『南仏プロヴァンスの12か月』が刊行されて(1989年・和訳は1993年)、世界的なプロヴァンスブームが始まり、その著作の中心地であるリュベロンにも観光客が大挙するようになった時期です
ヨーロッパ全体に視野を広げると、ベルリンの壁崩壊(1989年)の熱気から東西ドイツが統合に至り、EU統合は幾段階を経て大きく進んだ時期です。シェンゲン協定により国境検問が無くなり、2002年にはユーロ紙幣・硬貨の使用開始によってフランスフランやドイツマルクが無くなり、旅行する人や商売する人には便利になりましたが、国ごと・地域ごとの独自性が薄れてしまった面も大いにあります。ユーロバブルも発生し、年々すごい勢いで街や村々が変化していくのを目の当たりにしてきました。プロヴァンスの街や村も驚くぐらい変わり、やはり残念な面も多くあります。
日本国内では、1991年はバブル崩壊の年。1年ぶりに帰国したらバブル崩壊後で仕事が見つからず苦労したり・・・。Jリーグ開幕によるサッカーブーム(1993)の始まりや『ドーハの悲劇』、長期間の自民党政治の終焉・細川内閣の発足(1993)などは、現地で短波ラジオ越しに聞いたものでした。思い出は尽きません。
大いに盛り上がったEU統合ブームですが、昨今はその反動とも言えるのでしょうか?ユーロバブルの崩壊から始まり、ギリシャ危機、中東からの難民問題、イギリスのEU離脱など、広範囲で揺り戻し(ナショナリズム?)が進行しているようにも見えます。私個人的には『地域・国家の独自性とはどうあるべきか?』を改めて問われる時期が来ていると思っています。
今後、プロヴァンスはどのように変わっていくのでしょうか?

近年のヨーロッパクライミングは、その中心地がスペインにとって変わり、プロヴァンスのクライミングエリアは閑散としていることが多く、見かけるクライマーもローカルばかりです。私達も往復にプロヴァンスに立ち寄ることはあれど、腰を据えて滞在することは無くなりました。
今後のプロヴァンスの変化を見届けることが出来なくて、とても残念です。

話が拡散してしまいましたが・・・
私が愛するプロヴァンス、思い出尽きない地。
古き良きプロヴァンスよ、永遠なれ!と願うばかりです。  

記:2019年9月2日
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