- Contents -
(プロヴァンス滞在記)
2007/03/06
 
  1.ボニュー
  2.ピザ屋
  3.キャンプ場
  4.アパート
  5.ミストラル
  6.スーパーマーケット
  7.ジュリアン橋
  8.ビュークス 1
  9.車上ねらい
 10.待ち合わせ
 11.カヴァイヨン方面へ
 12.アンスイ城
 13.宗教
 14.ヴォークリューズの泉
 15.カナル
 16.作者のつぶやき
 17.オクサンのつぶやき
 18.写真室 1
 19.写真室 2
 20.写真室 3
 21.写真室 4
 22.桜の花が咲く頃
 23.フォーレ・デ・セドル
 24.ボニューについて
 25.さくらんぼの実る頃
 26.嵐の夜は・・・
 27.ルノーガレージにて
 28.ビュークス 2
 29.ビュークス 3
 30.気まぐれ
 31.写真室 5
 32.共同洗濯場
 33.写真室 6 (水にまつわる写真)
 34.ドイツ系スーパー
 35.3車線?道路
 36.ロータリー
 37.ドルメン
 38.使い捨てカイロ
 39.モンマジュール修道院
 40.ペイヨン
 41.写真室 7 (街の眺め 1)
 42.ローマ水道橋 1
 43.ローマ水道橋 2
 44.写真室 8 (これなあに?)
 45.写真室 9 (街の眺め 2)
 46.プロヴァンスのコロラド
 47.マルセイユ
 48.桜の花が咲く頃 2006
 49.交通事情 2006
 50.レガロン渓谷

TOPページを表示    

プロヴァンス滞在記


28.ビュークス (BUOUX) 2

現在の私たちの感覚からすると、
ビュークス一帯の、崖だらけで険しい土地は不毛のようにしか思えないのだが、逆に先史時代にはこのような前傾の崖・洞穴が多い地形は、生活するのに絶好の地であったようだ。 

実際に、ビュークス周辺では先史時代(旧石器時代・新石器時代・青銅器時代)の生活跡・生活用具・墓地等が数多く見つかっている。



中世の城壁

忍び階段
『忍び』と言うにはずいぶん立派な階段だ。


現在見られるビュークス砦はケルト・リグリア時代が起源。

これ以降、中世から近世にかけて、この地域の立地上の重要性と、防御上の有利さから、この砦は特別な役目を担うことになる。

リュベロンはヴァルドー派の拠点が多く、宗教戦争の頃には、砦はヴァルドー派の人々の避難所に使われた。
宗教動乱が比較的おさまっていた時期には、プロテスタントたちは周辺に散在したが、ルイ14世によるナント勅令廃止で、再びこの砦がプロテスタントの避難所にされた。
ルイ14世は1660頃に砦の破壊を命じた。

以後、この砦は放棄され、ビュークスの村はエーグブラン谷から離れた現在の位置に作り直された。

現存する村は18世紀中期以降に作られたものだ。

じつは私は、過去十二年間でこれだけ頻繁にビュークスを訪れているにもかかわらず、ビュークス砦(Fort de Buoux)を訪れたことが無かった。

砦は、谷から見上げて想像していたよりもずっと大きく、見所がたくさんある。 完全な廃墟のレ・ボー(Les Baux)よりも、ある意味面白いかもしれない。 何重にも作られた防御壁の跡、ロマネスク式礼拝堂の跡、岩盤をくりぬいて作った蛸壺のような貯蔵庫、脱出用の忍び階段、等々・・・。

岩場の先端には中世のドンジョン跡がある。 ケルト・リグリア時代が起源だが、多くの部分はガロ・ローマ時代の遺構だそうだ。 ここからの谷の眺めはとても素晴らしい。



岩盤をくりぬいて作られた、
蛸壺のような貯蔵庫の跡


岩場を眺めて物思いに耽る作者
それにしても、いつもクライミングしながら眺めていたビュークス砦、逆にビュークス砦からクライミングの岩場を眺めるのは とても感慨深いものがある。

じつに大きくて美しい。

こんな岩場がもし 日本にもいくつかあれば、私も道を踏み外さなかったのかもしれない・・・。 しみじみと感じ入るものがある。

( 2002/07/02 作成 )


前のページへ

次のページへ
トップへ戻る

 
作者に無断で文章・写真を転載しないでください。
リンクはフリーです。お問い合わせはこちらをご覧ください
depuis 2001/03/18

 
       ver.
2.0