- 特集 3 -
(巡礼地にて)
2004/11/15
 
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      プロヴァンス滞在記   − 巡礼地にて −

10.ロカマドゥール (ROCAMADOUR)

                 

ロカマドゥール遠景。 印象的な姿だ。

コンク方面からカオール方面へ台地を進み、D673に入り約4km、アルズー(Alzou)渓谷にさしかかる辺りでロカマドゥールが突然姿をあらわす。

アルズー渓谷の段丘にへばり付くように構成されたその景観はとても印象的だ。 またここは、サンチャゴ巡礼路の『ルピュイの道』のルート上でもある。

ロカマドゥールはもともと、聖アマドゥールが隠遁生活に選んだ場所であった。 『アマドゥールの岩』がすなわち、この地名の由来だ。



聖アマドゥールとは、ルカによる福音書19章1〜10節に出てくる徴税人ザアカイが、晩年この地に隠遁して名乗った名前なのだと言い伝えられている。

ルカによる福音書によれば・・・、
ザアカイはエリコの町の徴税人の頭で、私服を肥やし人々の嫌われ者だった。 イエスがエリコに来たときに彼は好奇心からイエスを見ようとしたのだが、背の低い彼は人垣の向うのイエスを見ることが出来ない。 そこで木に登って見物していたところをイエスに呼びかけられ、一晩もてなすように言われた。
そして、イエスを自宅にもてなした彼は改心して財産を貧しい人々に分け与えたのだ。

現在はパレスチナ自治区に属する街:エリコの徴税人だった彼が、晩年遥か遠く、ガリアのこの地で隠遁生活を送ったという言い伝えなのだ。



黒い聖母子像


ノートルダム教会

巡礼が始まったのは12世紀。 1166年にこの場所で発見されたミイラ化した遺体が聖アマドゥールだとされてからだ。

それ以後、この場所で奇跡が頻発し、13世紀には最も人気がある巡礼地の一つとなる。
しかしながら、1476年に岩盤が崩れて教会が崩壊し、その後は宗教動乱が度重なり、この巡礼地は完全に荒廃してしまった。

19世紀になって ようやく大掛かりな修復が行われたが、現在目にする教会群のほとんどはこの時期に修復・建築し直されたものだ。


現在では、巡礼地としてよりは、むしろ観光地としてとても人気のある場所だ。

街中にはびっしりと、お土産物屋とレストラン、ホテルが立ち並び、観光客で賑わっている。
街の入り口には、聖域までの長い階段を歩かないで済むように有料のエレベータまである。

しかし、街の狭い通りに、途中までではあるが観光列車が走るのは、まるで遊園地みたいで、なんともいただけない雰囲気だ。




13世紀には既にお土産物屋が並んでいたそうな・・・。
しかしこの列車は遊園地みたいで興ざめだ。


段丘を登る道の途中にあるレリーフ
ゴルゴダの丘に向かうイエスの受難場面が描かれている。

そのお土産物街から長い階段を登り、教会の聖域への門をくぐると雰囲気がだいぶ変わる。

見所は、正面左のノートルダム教会。ここに祭られている黒い聖母子像は12世紀のものと言われている。 その上にある鐘は9世紀のものだ。
聖アマドゥールの柩はノートルダム教会の地下礼拝堂に祭られているそうだが、肝心の遺体は宗教動乱で混乱した時期に散逸している。

教会群を通り抜けると、段丘の上までつづら折りの小道が続く。その各コーナーに祠があり、中には十字架の道でのキリストの受難を表現したレリーフが祭られている。


現在のロカマドゥールは陽気な観光地だが、中世の巡礼ブームの時期には奇跡を伝える鐘が頻繁に鳴り響く、熱気に溢れた巡礼地であった。

当時とは建物はだいぶ変わったが、中世の熱気を想像し、巡礼者達に想いを馳せながら十字架の道を歩くのもおもしろい。






(2004/11/15作成)



狭い通りに立ち並ぶ家々。

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